2020年2月20日(木)午後6時〜8時40分第18回公開研究会堀尾輝久さん講演「丸山眞男の平和思想 どう引く継ぐか〜地球平和憲章の理念を深め拡げる視点から」
丸山真男の平和思想 どう引き継ぐかー地球平和憲章の理念を深め運動を拡げる視点からーー 堀尾輝久(教育思想・平和思想)丸山先生は、戦後民主主義の思想的リーダーであるが、それにはマルクス主義やポストモダンの視点から、「近代主義」あるいは、「虚盲」とする批判があり、平和思想に関しても戦争責任や9条解釈について異論が出されている。今回の報告は、前半ではゼミやコンパでの記憶に残る先生の言葉や思い出を語り、後半では先生の平和思想や9条への思いを語り、それを引き継いでいま私たちが取り組んでいる安保法制違憲訴訟や地球平和憲章の理念についてお話ししたい。
日時・場所
20 Feb 2020, 6:00 pm – 8:40 pm AEST
エデユカス東京 5階会議室B, 日本、〒102-0084 東京都千代田区二番町12−1 全国教育文化会館エデュカス東京
イベントについて
丸山真男の平和思想 どう引き継ぐか
ーー地球平和憲章の理念を深め運動を拡げる視点からーー 堀尾輝久(教育思想・平和思想)
要旨
私は東大法学部の3年の時丸山真男ゼミ(「日本のナショナリズムとファシズム」1953年度)に参加したが、4年の時には先生は長期の病欠。そのこともあり、私は進路に迷ったが、もっと人間のこと(実存と社会性)を考えたいとの思いが強く、教育学部大学院の勝田守一先生(哲学)のもとで人間と教育の問題を考える道を選んだ。教育学部の仲間からは生き方の基本と結びつく学び(研究)のあり方について触発された。丸山先生にはその後も影響を受け続けてきた。 丸山先生は、戦後民主主義の思想的リーダーであるが、それにはマルクス主義やポストモダンの視点から、「近代主義」あるいは、「虚盲」とする批判があり、平和思想に関しても戦争責任や9条解釈について異論が出されている。 今回の報告は、前半ではゼミやコンパでの記憶に残る先生の言葉や思い出を語り、後半では先生の平和思想や9条への思いを語り、それを引き継いでいま私たちが取り組んでいる安保法制違憲訴訟や地球平和憲章の理念についてお話ししたい。
(参考)
「9条地球憲章の会」事務局長の目良 誠二郎さんのお話し。
僕は、3年前に発足した「9条地球憲章の会」の事務局長を務めていますが、今回の講演者の堀尾輝久先生は会の代表であるとともに、戦後日本の民主主義教育学研究を代表する存在です。
その堀尾先生の政治学の先生は彼の丸山眞男さんで、教育学の先生は彼の勝田守一さんです。
僕は、かつて東大の駒場で社会学の授業に幻滅して道に迷っていた時に、勝田先生の「能力と発達、学習」と題する特別講義を聴いて感動して、教育学部の教育学科教育史・教育哲学(史哲)コースに進学したのですが、勝田先生は間もなく胃癌で亡くなられてしまいました。その代わりに、僕が深く学んだのは大田堯先生と若き日の掘尾先生だったのです。
しかし、大学院に進んだ後、いわゆる「東大闘争」があり、僕は教育学部大学院の自治会書記長として、東大の民主的改革のために全身全霊を挙げてたたかいました。その「東大闘争」が一段落した後、僕は思うところがあり、教育学研究者への道を捨て、一介の社会科教師として教育の現場で生きることを決意したのでした。数年後、山手線の電車の中でバッタリと再会した堀尾先生に、「目良くん、研究的な仕事もしてくださいね」と言われたのです。
僕が、その後、教育現場で頑張りながら、一方で日本近現代史研究や社会科歴史教育・平和教育の研究に取り組むようになったのは、堀尾先生のその一言がきっかけだったかもしれません。その後、教育雑誌などで僕の論稿を目にされてのことでしょうか、大田先生も堀尾先生も折に触れて僕を励まして下さいました。
まさか、その堀尾先生と組んで「9条地球憲章の会」を結成し、「地球平和憲章」づくりの運動をすることになるとは、人生の不思議です。そして、今回、堀尾先生の先生である丸山眞男さんの「平和論」を会の公開研究会で論じていただくことを強く勧めたのは僕でした。
堀尾先生こそ、忘れられた感のある丸山眞男さんの「平和論」を論じるのに最もふさわしい存在であり、論じておいていただくべき時だと思ったからです。 * 教員時代に買いそろえていた『丸山眞男集』(岩波書店)全17巻を本棚の奥深くからやっと取り出し、ぼちぼちと読み直し始めました。 以下は、「憲法九条をめぐる若干の考察」という1964年の講演の一節です。 丸山さんの鋭い指摘は、半世紀以上たった現在の安倍改憲の本質をも衝いて見事ですね。
堀尾先生の講演が楽しみです。どうぞご一緒に学びましょう!
「そもそも改憲問題の現実的発生が、第九条の問題をめぐっておこり、第九条問題自体が、冷戦の激化に伴う日米合作の軍事的な防衛力の設置および増強と不可分に発展してきたということは争えません。 …民主的な憲法というものは『不磨の大典』ではないのだから、不断に改正を検討し、また個別的に不都合な条項を改めてゆくということは当然だという一般論――それはその限りで正論ですが――と、現実にわれわれに投げかけられて来た改憲問題のレヴェルを混同してはならない。 後者の政治的核心は、あくまでもアメリカの戦略体系の一環としての日本再軍備にあったし、今でもあるということを、改めて確認しておくことが必要だと考えるからであります。」 (『丸山眞男集』第九巻から)